2024年2月7日
こんにちは。
2月になり、梅も咲き始めました。
節分も過ぎ、まだまだ寒い日もあるかと思いますが、体調に気をつけてお過ごしください。
そして、能登半島地震で被災された方にお見舞い申し上げます。
まだ、行方不明者の方々がおられます。1日でも早いご家族との再会を願っております。
今回は、ふぐちりの由来についてお話ししていこうと思います。
日本は、昔から囲炉裏に火が焚べてあり、そこに鍋などをかけて、家族や仲間で囲んで食べてる習慣があったそうです。
鍋料理は、手軽に肉や魚、野菜などの栄養がスープと一緒にとれて、調理や片付けの手間が短縮できるありがたい料理です。
また、住む地域や場所によって、食材も異なり、沿岸部などでは海鮮(魚や魚介)を使った鍋、山の幸が豊富にある地域ではきのこや山菜など、山菜以外の食材として、川魚や肉(猪や鹿など)を使った鍋もあります。
そして、最近では、鍋用のスープが販売されていて、変わり種のスープでトマト鍋や豆乳鍋、カレー鍋などがありますね。
もちろん、昔からある寄せ鍋の素も最近では、販売されていますね。
ふぐちり鍋の話に戻ります。
ちり鍋の「ちり」は新鮮な魚の切り身を入れるとチリチリと縮んでいくことが由来と言われています。
また、諸説あるようで、幕末〜明治時代に生魚(刺身など)を食べる習慣のない西洋人たちが、沸かしてあるお湯に入れて食べたことから鍋がはじまったともされています。
ふぐも白身魚ですので、出汁の中にふぐの身を入れると少しチリチリと縮む感じが楽しくもありますね。
今では、「てっちり」がすっかり定着していますが、もともとは大阪が発祥というのはご存知ですか?
「てっちり」の由来ですが、大阪ではふぐのことを「鉄砲」または「鉄」と呼んでいました。
なぜ、「鉄砲」または「鉄」かというと、ふぐにはテトロドトキシンという毒があり、その毒に「当たると死」んでしまうということが、鉄砲に「当たると死ぬ」ということが似ていることからふぐを「鉄砲」または「鉄」と呼ぶようになったとのことです。
江戸時代、ふぐ食は禁止されていたこともあって、庶民のあいだではふぐの隠語として使われていたようです。
ちなみに、江戸時代では、ふぐは庶民が気軽に食べることができる魚でだったそうです。
てっちりの話に戻りますと、大阪では古くから鍋料理のことを「ちり」と呼んでいたそうで、ふぐがてつで鍋料理がちりとかけて、「てっちり」と呼ぶようになったという説が有力なようです。
呼び方ひとつとっても、理由が違っていますね。