2023年4月19日
4月になりました。
ツツジ(躑躅)が咲き始めました。
ゴールデンウィークのころには、満開に近づいている頃ですね。
さて、みなさんはゴールデンウイークはどのように過ごす予定ですか?
前回は、松尾芭蕉がふぐが怖い・嫌いという俳句を残していたことをお話ししました。
今回は、小林一茶が初めてふぐを食べて、美味しかったという俳句のお話をしようと思います。
小林一茶といえば、教科書にものっている有名な句が「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」です。
ですが、俳諧師として旅をしている時に、ふぐを初めて食べて読んだ句があります。
「五十にて 河豚の味を知る 夜かな」
「河豚食わぬ 奴には見せな 富士の山」
という2句を小林一茶は残しています。
上の句は、50歳で初めて食べたふぐがあまりにも美味しく、ふぐ好きになったそうです。
下の句は、こんな美味しいものを食べないなんて富士山を見る資格はないと言っている感じにもとれますね。
あまりにふぐが美味しくて天にものぼる気持ちだったのかもしれないですね。
小林一茶は、50歳までふぐを食べなかったのは、ふぐ毒に用心して食べていなかったようです。
小林一茶の生い立ちは、長野県北信濃の出身で、地元では有力な農民の家系だったようです。
しかし、複雑な家庭環境だったようで子供の頃からあまり恵まれていなかったそうです。
幼い頃に実の母を亡くしているそうですが、継母との確執が一茶の性格と俳句に影響を与えていることはいえると思います。
ですが、25歳のころに、頭角を表し「一茶調」と言われる作風を確立したと言われています。
晩年も決して幸せではなかったそうです。
晩年は、39歳のころに父の死と継母と弟との間で遺産のことで揉め、弟も確執があり、妻や子供が早くになくなったりといろいろなことがあったそうです。
また、一茶は65歳で亡くなる前に、自宅を火事で失ったりと、人生の後半も決して幸せではなかったとそうです。
一茶の死後、西郷隆盛などが注目したことで、与謝蕪村や松尾芭蕉と並んで江戸時代を代表する俳人として知られることになったそうです。
最後に簡単にまとめますと、小林一茶は、複雑な家庭環境で育ったわけですが、俳諧人として生活して、そして50歳までふぐ毒を警戒して食べずにいた警戒心を抑えて、初めてふぐを食べて至福のとき知ったとのことです。
また、前回、松尾芭蕉の2句をご紹介しましたが、小林一茶とのふぐを食べたときの気持ちの違いがはっきりわかりますね。
それでは、良い休日をお楽しみください(^_^)